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三笠宮崇仁さまが、100歳でご逝去されました。

オリエント史研究に情熱=戦争、皇室批判も−激動の一世紀歩む・三笠宮さまー時事通信


三笠宮さまは大正4年(1915年)のお生まれ。学習院中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業、中国大陸や大本営などで陸軍参謀を務められた。戦後は東大文学部の研究生として歴史を勉強し、日本オリエント学会の初代会長に就かれた。トルコなどの遺跡発掘調査に参加し、現在も中近東文化センターの名誉総裁を務めるなど、中近東研究に多大な貢献をされている。

昭和天皇の末弟、三笠宮さまが「白寿」のお誕生日迎えられる - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

昭和天皇の弟君が太平洋戦争で参謀を務められていたなんて知りませんでした。驚きです。大正天皇の四男ということで、いわば、ガルマ・ザビと同じ立ち位置でいらっしゃるんですね。

気になって仕方なくなり、絶対の信頼を誇る「Wikipedia」をチェックしてしまいました。そうしたらまあ、驚きの連続。どうしてこういうことを歴史の授業で教えてくれなかったのでしょうか。日教組のせいでしょうか(棒

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦後、陸軍大尉時代の1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで、コードネーム“参謀・若杉”(姓は印にちなんで作られた)として南京の支那派遣軍総司令部に勤務。総司令部は着任に際して部隊内に通達を出し、勤務中の待遇及び食堂での食事の際の礼遇について周知している。若杉の正体は秘匿されていたため、部内にはかなり後期まで、若杉参謀が三笠宮であることを知らない者も多かった。−Wikipedia

同僚「おい、若杉、その書類取ってくれ」

側近「貴様!なんて口の聞き方を!」

若杉「(手で遮って)これか?そらよっと」

側近「(殿下……くっ……)」


なんてことがあったのでしょうか。ちょっと感動します。大日本帝国憲法下の天皇家って今では考えられないくらい雲の上ですよね。暴れん坊将軍か水戸黄門みたいなものでしょうか。

さらに。
帰国後、戦争終結を模索し、同僚の津野田知重陸軍少佐らと共に東條内閣打倒のクーデター計画を立てるが、東條英機暗殺、主戦派数百名大量粛清などその過激な内容に躊躇し、自ら憲兵隊に通報。津野田らは逮捕され、クーデター計画は未遂に終わった。成功時には支那派遣軍総司令官の職に就く予定であったと言われる(津野田事件)。−Wikipedia

津野田の策は、統帥と軍政との不一致を理由に、参謀本部の玄関で東条を斬りつけ、東条を取り巻く主戦派数百名を次々に倒し、一挙に主戦派を抑えて、皇族内閣をいただく。そして、信を世界に問い、正論を持って、当時の歪められた戦争指導の重圧から脱しようとするものであった。津野田が東条暗殺という非常手段を考えたのは、当時の好戦的な情勢から見て、到底尋常一様のことでは不可能と考えたからである。

三笠宮の手元に届いたであろう3つの奉答書などを中心に、秩父宮、高松宮、そして三笠宮の3人は密かに箱根に集まり、検討したという。−ニッポンリポート


なにこれすごい。天皇家の方が東條内閣打倒のクーデター!?こんな事件知らないよ!しかもこの津野田少佐が後のテレビ東京設立に尽力したの!?

現代史、ちゃんと勉強しとけばよかったなあ。

俄然、三笠宮さまのことを知りたくなったので、いい本などあったら教えて下さい。

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